奇跡を起こす映画
カトリック司祭 晴佐久 昌英
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| 2009(C)coop99 filmproduktion, Essential Filmproduktion, Parisienne de Production, Thermidor 2011年12月23日(金)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー |
カトリック信者である母は、聖地へ来られたことに感激しながら、映画にもあるとおり岩屋で熱心に祈り、ろうそく行列に加わり、水浴をし、ミサに参列した。
よほど心が安らいだのだろう、もう一度行きたいと言うので再び巡礼旅行を組んだけれど、病状が悪化して入院してしまったので、代わりに私だけ行って祈ってきた。帰国してから、ルルドの泉で汲んできた水を渡すと、しばらく祈ってからもったいなさそうに飲み始めた。口腔ガンだったので、飲みにくそうに少しずつ口に入れ、何度もこぼしてはすまなさそうな顔をした。飲み終えると、微笑んで「ああ、うれしい」と言った。
ほどなく母は亡くなった。カトリック司祭である息子の私が、葬儀ミサを司式した。やがて納骨をすませ、あれこれの整理が一通り終ってから、思い立ってルルドへ向かった。母の写真を胸に、感謝の祈りを捧げるために。
聖地ルルドが信じる者に与えているのは、実は病の癒しではない。病の意味である。
司祭として多くの病者と関ってきたが、病人が心の奥底で求めているのは、単なる病気の治癒ではなく、自分が背負わされた病気の意味であることが多い。
「なぜわたしが、こんな病気になったのか」
「この苦しみに、何の意味があるのか」
「病むわたしは、何のために存在しているのか」
人は、意味がなければ生きていけない。まして苦しみのさなかでは、意味がなければ耐えられない。そんな病者に対し、ルルドの聖母は語りかける。その苦しみは決して無意味ではない、それは、苦しみとは比べ物にならないほどすばらしい永遠の世界に生まれ出るための、聖なる産みの苦しみなのだ、と。
母は、ルルドへ向かう前にポツリとこう言った。
「わたし、決断しに行くの」。
それは、つらい現実を神の御心として受容する決断であったに違いない。
この映画の主人公は今、生きる意味へ向かう巡礼の旅を始めたところだ。ラストのすがすがしい表情は、まさにその旅が意味あるものであることを物語っている。たとえ彼女の体が再び動かなくなったとしても、その旅は続くだろう。映画の中で司祭が言うとおり、それこそが「奇跡」なのである。その意味では、これは奇跡を描く映画であるだけでなく、奇跡を起こす映画なのかもしれない。観る者もまた、主人公と共に、生きる意味へ向かう巡礼の旅を始めるのだから。
2011年11月26日〜27日、マカオにてシグニス・東アジア共通プロジェクトとして映画セミナー「-Listening to a Silent Life - A Seminar on Films on Pro-life Themes」が開催されました。シグニス・ジャパンからは、鵜飼恵里香さんが発表しました。女性支援、教育などに携わるシスター、学校関係者が出席され、映画を観ながら”小さな生命の声”に耳を傾ける大切さについて、意見交換を行い、有意義なセミナーになりました。参加した泉も一緒に、マカオの世界遺産の見学も楽しんできました。http://signisasia.net/en/home/73-brief-news/149-signis-east-asia-film-seminar.html
第15回インターネット・セミナーを開催いたします。
今回は「震災・教会・インターネット」というテーマでお送ります。
日 時 2012年1月14日(土)13:30〜17:40
会 場 カトリック目黒教会 GoogleMap






